ジヴェルニー派というもの
1883年、モネがパリ北方のジヴェルニーに家と土地を借りて移り住み、最終的にここを終の棲家として制作活動を行ったことは有名だ。しかし、印象派の名声が高まるにつれて、多くのアメリカ人の画家がこの地を多く訪れ、長期滞在して(ある者はモネのように住みついてしまい)制作するようになったことはあまり知られていない。ジヴェルニーはいわば芸術家のコロニーとなっていたのだが、そんな「ジヴェルニー派」に焦点を当てた珍しい企画の展覧会。
まあ、セザンヌやボナールも訪れたとはいえ、「ジヴェルニー派」のほとんどは金持ちのアメリカ人。想像するにポン・タヴァンみたいな状況が生まれていて、もとは素朴な田舎の村だったところが「芸術村」になったということだろう。多くの画家はフランス語などまともに話せなかっただろうから、アメリカ英語があちこちで飛び交っていただろうし、そんな画家の卵たちを相手に地元の人たちはカタコトの英語で商売していたに違いない。さて、残された彼らの絵を見ると、まあアメリカ印象派としては一定の評価がある人たちなのだが、やっぱり凡庸である。逆に、いかにオリジネイターとしてのモネが凄かったかということがよくわかる。そして、モネから直接教えを受けた義理の娘、ブランシュ・オシュデ=モネが描いたモネの庭の絵が、モネそっくりで素晴らしい。実は僕はジヴェルニーに行ったことがないのだが、最近モネの庭に園芸学的な興味を持っていて、いい季節になったらぜひ行ってみたいと思っている。
来年2月17日まで、Bunkamura ザ・ミュージアムにて。
| 固定リンク
「美術」カテゴリの記事
- ビル・ヴィオラ: はつゆめ(2007.03.03)
- ジヴェルニー派というもの(2010.12.08)
- キョーハクのトーハク(2010.05.02)
- 乳白色の壁画(2010.01.26)
- 硬く滑らかなエロティシズム(卵の殻のように。)(2010.01.07)
コメント