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若いけど昔ながらのロシアオケ

Bashmet美人ヴァイオリニスト・シリーズ第4弾は、諏訪内晶子さんです。文句なしの美人。映像では何度も見ていますが、実演は今回が初めて。彼女の演奏については、人によってだいぶ評価が分かれるので、自分の耳で確かめてみようと思いました。

2010年5月9日 神戸文化ホール

ショスタコーヴィチ: 祝典序曲 Op.96
ショスタコーヴィチ: ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 Op.77
チャイコフスキー: 交響曲第5番 ホ短調 作品64

ユーリ・バシュメト指揮 国立ノーヴァヤ・ロシア交響楽団
ヴァイオリン:諏訪内晶子(使用楽器:1714年製ストラディヴァリウス「ドルフィン」)


かつて「新ロシア交響楽団」と邦訳されていた「ノーヴァヤ・ロシア」、どんなオケかと思っていたら祝典序曲が始まってビックリ。細かいとこはどーでもいい、とにかくヤルのだ!とばかりに鳴らしまくる、昔ながらの典型的なロシア・オケでした。管打が鳴らすこと鳴らすこと。それに負けずに弦セクションもフル・ヴォリュームで鳴らしまくる。のっけからの爆演に呆れつつ苦笑。

さて、お目当てのコンチェルト。
諏訪内嬢は淡いヴァイオレットのスレンダーなドレスで登場。背も高いし、モデルのようなスタイルの良さです。第1楽章は凄くゆっくりとしたテンポで開始。バシュメトは低弦を繊細に扱います。ソロはさすが「ドルフィン」とため息をつきたくなる美しい音色。決して冷たいものではなく、つややかで美しいという印象です。最近の女性ヴァイオリニストがこの曲をやるときにありがちな甘ったるい感じは皆無で、それは良かったのですが、願わくばもっと厳しさがほしい。この「ノクターン」の「夜」の意味は非常に深いのです。諧謔的な第2楽章ではテンポを落としすぎる指揮者が多いのですが、バシュメトはさすがにそれはしません。ソロは意図的に荒々しく弾き始め、切れ味鋭く好調です。オケの爆演傾向も良い方向に作用して、この演奏悪くないかも、と思ったのですが・・・。第3楽章にヌルっと入ってしまいました。ここで演奏が一気に弛緩。このパッサカリアは「悲劇的な運命=歴史」を表すものとして、ひとつひとつの変奏をドラマティックに描き分ける必要があるのですが、ただただ重苦しいだけでかなり退屈(第3変奏ぐらいで睡魔が襲ってきました)。後半の重量級のカデンツァで諏訪内嬢はだいぶ健闘していましたが、中ほどのデタシェの部分(184小節からのところ)など緊張感が持続していないところがあると僕は感じました。オイストラフも語っているように、このカデンツァはかなり計算してもっていかないといけないのです。第4楽章でもバシュメトがテンポをゆるめないのはさすが。オケはちょっとミスが目立ちます。ソロはほとんどヴィルトゥオーソ・コンチェルトのように弾いているので、やや非ショスタコーヴィチ的でした。総合的に見ると、非常に美しい音色と高い技術力で演奏されたコンチェルトではありましたが、諏訪内晶子ならではの「何か」があったのか、というところには疑問が残ります。こういう曲は「噛み砕けない何か」「消化できない何か」がリスナーの中に残らないと成功とはいえないと思うのですが、そういうものは感じられなかった。あまりにも滑らかにするっといってしまっているのが物足りないのです。僕の初ナマ諏訪内の感想はそんな感じでした。難しいですね、この曲は。

休憩を挟んでのメイン・プロはチャイコの5番。これはもう「爆演」以外の何物でもありませんでした。細部はロシア的に非常にアバウトで、オチるは、出遅れるは・・・という感じなれど、音量とノリはしっかりキープ。西欧的洗練というものとはほど遠い、ほとんど演歌のようなチャイコフスキーでした。ブラヴォーとか飛んでましたが、こういうのは褒めていい演奏なんだろうか。わかりません。

アンコールは2曲。

ブラームス:ハンガリー舞曲第1番
オリヴェイラ:ティコ・ティコ


「ワタシたち、こんなのもできるんですよ」というショーケース的アンコールでしょう。「ティコ・ティコ」が始まったときはチャーリー・パーカーを思い出してしまいましたが、ビートルズ好きで知られるバシュメトはパーカーもお好きなんでしょうか。

会場を出たところに、楽団員用の大型バスが3台停車していました。今回の来日ツアーは15日の長野までとてもハードなスケジュールのようですから、バシュメトもオケの皆さんも、くれぐれも体には気をつけて、日本滞在をエンジョイしてもらいたいものです。スパシーバ。

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キョーハクのトーハク

Tohaku没後400年となる長谷川等伯の展覧会が、京都国立博物館で開催されている。京博では一昨年に狩野永徳展が開催されており、ちょうど対になるような大規模な回顧展だ。開催期間が短く、驚異的な人混みになっているところも永徳展と一緒。

ちょうど1年前、僕は仕事のおかげでだいぶ等伯について勉強することができた。京都の寺院だけでなく、七尾や羽咋や高岡にも何度か足を運び、現地で作品を見せて頂いたり、所蔵者の方からお話を伺ったりする貴重な機会に恵まれた。 その経験の上でこの展覧会を見ることができたことを、非常に幸運に思う。

信春時代の仏画作品は、どれも一般には目にする機会の少ないものばかりだ。展示室に溢れる人混みをものともせず、ガラスケースにぴったりを顔をくっつけるようにして(本当にくっつけてはいけません)じっくりと見るのが正しい。細密画というにふさわしい、信じがたいほど細かい装飾の技法に圧倒されることだろう。これまで図版でしか見ることのできなかった重要な作品がいくつも出展されている。その中でも「善女龍王像」は絵画として本当に美しい作品だと思う。多くの作品が400年以上前のものとは思えない素晴らしい状態で残されているが、これは所蔵してきた寺院の扱いが丁寧であったということと同時に、信春が使った顔料や膠の質が最高級のものであったということを意味している。

圓徳院の「山水図襖」、智積院の「楓図」「松に秋草図」に大勢の人が群がっていたが、実はこれらはそれぞれの寺で常時公開されている作品。会場の人混みの中で見るよりも、後日ゆっくりと見た方が気持ちがいいだろう。だいたい、襖絵とか屏風絵は会場が混み過ぎていると「引き」でちゃんと見れないので、構図がよくわからない。また、皆が感嘆の声を上げていた巨大な「仏涅槃図」も、本法寺で毎年涅槃会のシーズンに一定期間公開されているもの。本法寺にはこの涅槃図を吊るすスペースがちゃんとあるので、そこできちんと見た方がこの絵の面白さはわかると思う。

一方、肖像画や水墨画は有名な割に公開されることが非常に少ないので、今回は貴重な機会となった。肖像画では「武田信玄像」「千利休像」といった教科書レヴェルの重要作が見られるのが鳥肌もの。水墨画では隣華院の「山水図襖」、龍泉庵の「枯木猿猴図」、真珠庵の「蜆子猪頭図襖」等々、どれも本物が見れて良かったという作品ばかり。そして「松林図屏風」に関しては、もはや語ることは何もない。何度対面しても新しい発見がある。今回は、「月夜松林図屏風」と同じ部屋で比較できたところも面白かった。

「松林図屏風」の影響か、等伯は永徳に比べると地味なイメージを持たれがちな絵師だ。しかし実際はとてもエネルギッシュで多彩な活動をした人で、人生も実にドラマチックで面白い(最後は江戸で亡くなっているのだ)。これを機に一般的な知名度が上がるといいなあ、と桃山&江戸絵画ファンとしては思ったりする。

音声ガイドの松平さんの「そのとき、歴史が動いたのです」 には爆笑。

5月9日まで。

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