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「虐殺の森」を生きる

6815011僕はポーランドのクラカウ(クラクフ)に仕事で行ったことがある。もう5年ぐらい前のことだ。日本ではまだあまり知られていないが、とても美しい街だ。スクリーンで見て、また改めて行きたくなった。

アンジェイ・ワイダ監督の新作「カティンの森」を観た。戦後長らくポーランド国内においてタブーであった「カティンの森事件」が映画化されるのは、今回が初めてのことだという。ワイダの父親はこの事件でソ連軍に虐殺された15000人のポーランド軍将校の中のひとりであり、ワイダはポーランドが民主化された1990年ごろから映画化を熱望していたという。齢81歳にしての完成は、悲願の成就と言えよう。まさに執念である。

映画はワイダの両親―スモレンスク郊外の森の中で頭を撃ち抜かれて殺された父と、その父親の死を信じることができないまま世を去った母―に捧げられている。しかしワイダは「この映画がわが個人的な真実追求になることを・・・私は望まない」と語る。父への個人的な思い、その感傷で作品を満たすことは、この事件の意味を個人的なメモワールの領域に回収してしまうことにつながる。そうではなく、ポーランドの人々が抱えてきた、そしてこれからも抱え続けなければいけない歴史的記憶としてこの事件を物語化すること、それこそがこの作品の主眼なのだと思う。

だから作品は「残された人々」を主人公として描かれる。夫を連れ去られた妻たち、父を連れ去られた子供たち、兄を連れ去られた妹たち。肉親の死をどうしても信じることができず、かすかな希望に縋って生きている人々。やがて明らかになったカティンの森の虐殺事件は、ドイツの占領下ではソ連軍の蛮行と言われ、ソ連の占領下ではナチス・ドイツの犯罪的行為とプロパガンダされる。そして、残された人々の間に広がっていく溝。自分が生き延びていくためには、肉親を殺した相手の血まみれの手と握手して、自らに嘘をつき続けなければいけないのか?架空の物語でありながら、監督自らが、そして戦後ポーランドの人々が体験してきた生活のディテールが織り込まれることによって、ぞっとするようなリアリティが生みだされている。事件の真相が公に語れるようになる90年代まで、ポーランドの人々の心の中に溜まっていったものを思うだけで、胸が痛む。

観ている途中で、あえて虐殺のシーンを描かないという選択肢もあるのかもしれない、とも考えた。何らかの方法で、観客の想像力に委ねるというやり方が。しかしワイダは、やはりそういう道は選ばなかった。作品の最後に置かれた虐殺シーンは、映画史上最も凄惨なものではないだろうか。恐怖に顔を歪める将校たちを、ソ連兵たちはまるで機械のように次々と「処理」していく。後ろ手に縛り上げ、後頭部から拳銃で打ち抜く。額から血を噴き出してぶっ倒れる人間を、壁に穿たれた「通路」から運び出し、床や壁に飛び散った大量の血を水で洗い流して、拳銃に弾を装填して次の犠牲者を連行する・・・。緻密に再現された虐殺者たちの手口。80歳を超えた老巨匠が、暴力と不正義に対するありったけの怒りと憎しみを込めてこのシーンを撮っている。そしてそのことに観る者は戦慄し、深く打ちのめされる。

虐殺シーンの後、画面は漆黒の闇に包まれ、ペンデレツキの「ポーランド・レクイエム」が流れる。殺されたものの鎮魂のために。そして、映画は終わる。この「出来事」の後には、もはや何も語ることはできないというように。

ワイダはこの作品が、「カティンの森事件」を語り継いでいくための新たな出発点となってほしいと意図している。この作品は、後に続く若い世代に向けたワイダの遺言なのかもしれない。そして日本でこの作品を観た僕たちは、もちろん自分たち自身のことを考えなくてはならない。僕たちもかつて、ポーランド人やナチス・ドイツやソ連軍と同じように、残虐に殺したし、残虐に殺されたのだ。兵隊だけではなく、非戦闘員も巻き込み、巻き込まれながら。そしてその忌まわしい記憶はいまも生き続けている。その記憶を隠蔽しようとする人々、殺した側に都合のいいように記憶を書き変えようとする人々は、どこの国にもいる。僕たちは死者の声に誠実に耳を傾けなければいけない。殺した人間の大声ではなく、殺された人間のか細い声に耳を澄まさなければならない。そして、「残された人々」の悲しみと怒りに向き合わなければならない。

その倫理は、ワイダが描いたこの凄惨な「虐殺」を、自分のこととして生きる覚悟があるかどうか、という尺度のもとに測られなくてはならない。

アンジェイ・ワイダ監督、ポーランド、2007年。

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