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私の祖父は皇軍兵士だった

皇軍兵士の日常生活 (講談社現代新書)
一ノ瀬俊也「皇軍兵士の日常生活」講談社現代新書

私の祖父は1945年、フィリピンのルソン島で戦死した。父がまた4歳のときだった。すでに祖母も父もこの世を去った今、祖父が実際にどのような状況で死を迎えたのかを知ることは難しい。祖母の遺品を調べればわかることもあるのかもしれないが、家庭の事情によって、私が祖母の遺品を簡単に見られるような状況にはない。私の手元にあるのは、父が死んだときに取り寄せた除籍簿に記されていた、簡潔な文言だけだ。

昭和弐拾年五月弐拾日時刻不明比島ルソン島山岳州ボンドワクで戦死

昔は祖父のことを考えることもあまりなかった。父自身に祖父の記憶がないので、それほど話題にのぼらなかったということもある。むしろ父の昔話は、戦後に母子家庭で苦労したことが中心だった。また祖母が積極的に祖父の話をしていたという記憶もない。いま思えば、祖母にとって祖父の死とは、自分の人生において最も触れたくないことのひとつだったのかもしれない。しかしいま、祖父が死を迎えた年齢をとうに過ぎて、私は祖父のことをしばしば考える。あなたはどんな思いで入営し、どんな軍隊生活を送り、どんな不安と恐れを抱きながら戦地に赴き、どんな風に死んでいったのか。おそらく孤独だったであろう死の瞬間に、あなたは自分の人生について何を思ったのか。

この著作を読むに当たっては、やはり祖父のことが頭を離れなかった。著者は史料を駆使して「皇軍兵士」が置かれた社会的状況を描き出していく。その意味では、タイトルにあるような「日常生活」を詳細に描いているというよりも、「皇軍兵士」という社会的存在を描き出しているという方が正しいだろう。「銃後」の家族についての論考があることもその意図に沿っている。タイトルからはもっと日常生活の詳細が知りたくなるところだが、それは数多く出版されている個別のモノグラフに直接あたってほしいということなのかもしれない。「戦争が社会を公平化した」という言説、あるいは「軍隊は公平なところだった」という俗説を否定することによって、昨今の徴兵制復活論を批判するという著者の意図はよく伝わる。個人的には、皇軍の秩序とは「勇怯」を相互監視することで成り立っていたという指摘に深く考えさせられた。いまでもありそうな組織ではないか。「『戦死の伝えられ方』をめぐって」も得るところが多かった。戦争末期の死者の死亡状況の真実など、その者が属していた軍隊という組織がなくなってしまえば、ほとんどわかるはずもないのだ。しかし、そのようなことが許されてよいものなのだろうか?自分の父が、子が、夫が、あるいは兄弟が、どのような状況で死を迎えたのか全くわからないということが?「戦争とはそういうものだ」というしたり顔の言説を、私は決して許すことはできない。私の祖父は戦争によって殺された。国家によって強制された死を美化しようとするあらゆる言説を、私は受け入れない。

「戦争の時代を考えるとき一番大切なのは、その時自分だったらどうしたかを思うことではないだろうか。それができていない発言や思考法がいまの日本にはあまりにも多い」という結びの言葉に共感する。著者は私と同年齢。今後の研究に期待したい。

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