« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

私の祖父は皇軍兵士だった

皇軍兵士の日常生活 (講談社現代新書)
一ノ瀬俊也「皇軍兵士の日常生活」講談社現代新書

私の祖父は1945年、フィリピンのルソン島で戦死した。父がまた4歳のときだった。すでに祖母も父もこの世を去った今、祖父が実際にどのような状況で死を迎えたのかを知ることは難しい。祖母の遺品を調べればわかることもあるのかもしれないが、家庭の事情によって、私が祖母の遺品を簡単に見られるような状況にはない。私の手元にあるのは、父が死んだときに取り寄せた除籍簿に記されていた、簡潔な文言だけだ。

昭和弐拾年五月弐拾日時刻不明比島ルソン島山岳州ボンドワクで戦死

昔は祖父のことを考えることもあまりなかった。父自身に祖父の記憶がないので、それほど話題にのぼらなかったということもある。むしろ父の昔話は、戦後に母子家庭で苦労したことが中心だった。また祖母が積極的に祖父の話をしていたという記憶もない。いま思えば、祖母にとって祖父の死とは、自分の人生において最も触れたくないことのひとつだったのかもしれない。しかしいま、祖父が死を迎えた年齢をとうに過ぎて、私は祖父のことをしばしば考える。あなたはどんな思いで入営し、どんな軍隊生活を送り、どんな不安と恐れを抱きながら戦地に赴き、どんな風に死んでいったのか。おそらく孤独だったであろう死の瞬間に、あなたは自分の人生について何を思ったのか。

この著作を読むに当たっては、やはり祖父のことが頭を離れなかった。著者は史料を駆使して「皇軍兵士」が置かれた社会的状況を描き出していく。その意味では、タイトルにあるような「日常生活」を詳細に描いているというよりも、「皇軍兵士」という社会的存在を描き出しているという方が正しいだろう。「銃後」の家族についての論考があることもその意図に沿っている。タイトルからはもっと日常生活の詳細が知りたくなるところだが、それは数多く出版されている個別のモノグラフに直接あたってほしいということなのかもしれない。「戦争が社会を公平化した」という言説、あるいは「軍隊は公平なところだった」という俗説を否定することによって、昨今の徴兵制復活論を批判するという著者の意図はよく伝わる。個人的には、皇軍の秩序とは「勇怯」を相互監視することで成り立っていたという指摘に深く考えさせられた。いまでもありそうな組織ではないか。「『戦死の伝えられ方』をめぐって」も得るところが多かった。戦争末期の死者の死亡状況の真実など、その者が属していた軍隊という組織がなくなってしまえば、ほとんどわかるはずもないのだ。しかし、そのようなことが許されてよいものなのだろうか?自分の父が、子が、夫が、あるいは兄弟が、どのような状況で死を迎えたのか全くわからないということが?「戦争とはそういうものだ」というしたり顔の言説を、私は決して許すことはできない。私の祖父は戦争によって殺された。国家によって強制された死を美化しようとするあらゆる言説を、私は受け入れない。

「戦争の時代を考えるとき一番大切なのは、その時自分だったらどうしたかを思うことではないだろうか。それができていない発言や思考法がいまの日本にはあまりにも多い」という結びの言葉に共感する。著者は私と同年齢。今後の研究に期待したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベルリンの一夜

シューマン&バルトーク:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ(ライヴ・イン・ベルリン)
クレーメルとアルゲリッチの「ベルリン・リサイタル」(EMI)

国内盤は5月13日発売のようですが、一足お先に輸入盤で入手して聴きました。2006年12月11日にベルリンのフィルハーモニー大ホールで行われたライヴの録音。2枚組で、1枚目はシューマンのヴァイオリン・ソナタ第2番と、バルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ(クレーメルのソロ)。2枚目はシューマンの「子供の情景」(アルゲリッチのソロ)と、バルトークのヴァイオリン・ソナタ第1番。最後にはアンコールとしてクライスラーの小品が2曲、「愛の悲しみ」と「美しきロスマリン」。考え抜かれたプログラム配置で、現在最高のデュオの一夜を追体験できるCDといえるでしょう。

シューマンのヴァイオリン・ソナタ第2番はこのデュオのスタジオ録音があるので(1985年DG)、どうしても比較して聴いてしまいます。85年盤も曲への集中力と強い表現力によって他の同曲録音とは一線を画する名盤ですが、今回はさらに素晴らしい出来となっています。ライヴならではの勢いで、スタジオ録音同様の激しいピアノとヴァイオリンのやりとりが、さらに過激になっているのがわかります。とくに、第2楽章の強迫的なリズムと第3楽章の優しげな旋律 ‐ 平穏さの中に「無」の深淵を見るような恐ろしさがある ‐ の対比が強調される点に強い印象を受けます。具体的には、第2楽章の最後の方、immer schwächer und schwächer (さらに弱く弱く)という表記がある部分の独特の表現、そして第3楽章の最後の変奏におけるアルペジオの輝きに耳を奪われました。

クレーメルによるバルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全曲は初めての公式録音です。曲想からしてクレーメルにぴったりですから、これはちょっと意外な感じもします。部分的な録音としては、去年出た「ギドン・クレーメル・ボックス」(Brilliant)のディスク10に第1楽章だけが収録されていました(クレジットを信用すれば1967年10月1日のライヴ、おそらくアンコールとして演奏されたもの)。この昔の録音はいかにも若き日のクレーメルらしい、少しささくれだったシャープな音によるキリキリとした演奏で、ちょっと「はまりすぎ」というか、いかにもクレーメルがこの曲を弾くとこうだろうなあ・・・というイメージに適合しすぎていて、逆に意外性に欠けているという印象を受けました。さて待望の全曲盤はというと、さすがに40年前とは全く違い、音楽的に実に深く掘り下げられています。語るように、あるいは噛みしめるように音楽を紡いでいく演奏で、その「タメ」や「ユレ」、「モタレ」が実に人間的。フレージングや音色も考え抜かれており、第1楽章の結尾ではバルトークの亡霊が顔を覗かせます。第3楽章のメロディアでは、単なる民族性の発露だけではない、故国の大地と切り離されて新大陸に追いやられた魂の嘆き、恐れ、そして祈りと希望までもが感じ取れます。そして第4楽章の無窮動を全部スル・ポンティチェロで風のように駆け抜けるのも驚き。これはもう誰にも真似できない、クレーメルならではの演奏といえるでしょう。

ディスク2の冒頭を飾るアルゲリッチのシューマン「子供の情景」は、この2枚組の中では箸休め的な存在。各曲が連続して演奏され、即興的な雰囲気の強い演奏です。まあ、現在のアルゲリッチのソロが聴けるというだけでも感動ものですね。これも彼女自身による有名なスタジオ録音(1983年DG)があります。

そしてメインプロがバルトークのソナタ1番。ヴァイオリンとピアノががっぷり四つに組んで、室内楽というより格闘技のような丁々発止のやりとりを聴かせる難曲です。このデュオによるスタジオ録音(1988年DG)は、この曲の演奏史に新たな局面を切り開いたと言っても過言ではない名演だと思いますが、今回のライヴも期待を全く裏切らない出来です。スタジオ録音同様、ふたりとも音色の魔術師のようにありとあらゆる音を楽器から引き出し、聴き手を驚かせます。とりわけこのライヴで凄いと思ったのはアルゲリッチ。繊細な薄手のガラス器のような弱音のパッセージから、グランドピアノを叩き壊さんばかりの激しい重低音のアタックまで、スタジオ録音以上の幅広い表現力を聴かせます。第1楽章再現部、アルペジオの上でゆっくりと第1主題が奏されるところなど、いったいどんなペダルの使い方をしているのでしょうか。また第3楽章、ピアノ・パートに頻出する舞曲的フレーズのパワフルさにも脱帽。そしてエンディング、超高速で駆け抜けるデュオのテクニックに、スピーカーの前でブラーヴォ!と叫んでしまうこと請け合いです。

アンコールがクライスラーというのも洒落ています。「愛の悲しみ」は過ぎ去った時代をいとおしみ、愛撫するかのようにゆっくりと。そして「美しきロスマリン」は一転、華やかで気まぐれにするするっと。このあたりの対比的な聴かせ方も実に見事。この「ベルリンの一夜」に居合わせた人は本当に幸せだったことでしょう。羨ましいな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »