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桐野版「古事記」だが…

女神記 (新・世界の神話)
桐野夏生「女神記」角川書店

「世界32カ国共同プロジェクト」である「世界の神話」というシリーズの1冊として書き下ろされた桐野夏生の新作。このプロジェクトで出版された他の作品を読んでいないのだが、世界各地の神話を題材にして各国の作家に新作を依頼するというものらしい。桐野の場合は、「古事記」などに記された日本神話が題材となっている。

さて、本作でもここ何作かの桐野作品と同様、沖縄(あるいは「南の島」)が物語の舞台となっている。そしてこの作品の大きなテーマは、イザナキとイザナミの神話を女の視点から語り直すというところにある。この作品の概念的な枠組みは、ヤマトではなく「辺境の島」から、男性ではなく「女性」から、つまりいずれも「外部」の視点から日本神話を批評的に再解釈しようということだと言えるだろう。この概念枠組み自体は、言うまでもなく非常にありふれていて、新味のあるものではない。しかし、それはあまり重要なことではないだろう。物語の論理的な構造を超えてしまう「語り」の力こそが、文学の最大の魅力なのだから。

だが、この作品に関しての私の判断はちょっと辛い。南の島の描写は魅力的だが、カミクゥやナミマ、マヒトといった登場人物がそれほど絡み合うわけではないため、これまでの桐野作品のようなリアリティあふれる人間描写が少なく、物語としてかなり食い足りなさが残るのだ。物語の中心にいるのは黄泉国に住むイザナミという神だが、この神様を人間的に捉えてその「心情」に迫るには、あまりにも時空設定にリアリティがなさすぎる(神様だから仕方ないけれど)。結果的に、身動きのとれない不自由な場所で一生懸命桐野ワールドを現出させようとしているような難しさを感じてしまう。編集者の狙いとしては、「女性の情念を描く作家だから、桐野夏生にイザナミをぶつけよう」ということなのかもしれないが、もしそうだとしたらそのコンセプト自体が少し間違っているように感じる。桐野夏生は具体的な描写の積み重ねでリアリティあふれる人物を構築していく作家であり、内面的な心理描写を得意とするタイプではない。主人公の独白ですら、言葉の裏にある正反対の真意を描写によって浮かび上がらせるようなところがある。こういう人にイザナミという神話の登場人物を描かせるのはちょっと酷ではないだろうか。

この不自由さに縛られてか、物語が帰着する「男と女の理解不可能性」にも説得力が欠けている。いま、神話を題材に男女の関係性を語る必要性もしくはアクチュアリティがどこにあるのか、私にはよくわからない(まあ、隠蔽された原=日本神話に内在する母性への回帰を唱えるというようなとんでもない結末にならなかっただけ良いけれど)。桐野夏生にはもっと徹底して語りの面白さを追求してもらいたいし、その中で人間性についての残酷なまでのリアリティを描き出してこそ、文学としての価値があるといえるだろう。この作品を読んで日本神話をあらためて読みたくなる、というプロジェクトとしての効果は否定しないが、桐野作品として見た場合のクオリティは必ずしも高くないと感じる。このプロジェクトは受けなくてもよかったのではないか?

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