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「脱ナショナリズム的」蒔絵展

Makie「japan 蒔絵 宮殿を飾る 東洋の燦めき」展@京都国立博物館のプレヴューに行った。輸出漆器の展覧会としてここまで本格的なものは日本でも(ということは、すなわち世界でも)初めてだという。相変わらず工芸的なものへの感受性にいまいち自信がない私ではあるが、何事も勉強が大事だ。なるほど、この展示の流れを一通り見れば、一般にはあまり知られていない蒔絵の歴史がよくわかる。中世までの日本の蒔絵の伝統を踏まえた上で、桃山時代の高台寺蒔絵、南蛮漆器、紅毛漆器、ヨーロッパの王侯貴族のコレクションによる江戸時代の蒔絵、そして幕末明治期の万国博覧会の蒔絵に至る道筋をきれいに整理して見せてくれる。これだけでも非常に勉強になる。

さらにこの展示には、単に日本の工芸品が世界に認められたというだけではない視点が随所に散りばめられている。「漆は英語でジャパン」という話はよく聞くが、そこで安易にナショナリズムをくすぐられるだけで満足してしまっては、蒔絵貿易をめぐる歴史のダイナミズムを見落としてしまうことになる。そもそも、漆器や蒔絵を普通名詞の「日本」と呼ぶのはイギリスだけの話で、それすらいま普通の人が知っているかどうかすら疑わしい。さらに言えば、かつてのヨーロッパの人々にとって蒔絵は「東洋から来たもの」というだけで十分なのであって、日本産かどうかなんてどうでもいいことだったのだ。そこでこの展示の中では、これまでの「ナショナリズム的蒔絵礼賛」とはちょっと違った知見が随所に散りばめられている。

例えば、南蛮漆器は大航海時代にヨーロッパ人が各寄港地で作らせた工芸品の「日本ヴァージョン」であり、他の地域ではまったく同じものが違う素材で作られているということ。日本の蒔絵が最初に高く評価されたのは中国であり、日本から直接ではなく中国や朝鮮半島を経由して輸出された品が多いということ。東洋趣味の流行の中でジャパニング(蒔絵を真似たワニス技法)が高度に発達し、それが逆に蒔絵の様式に影響を与えたということ。ヨーロッパの王侯貴族のコレクションの中には江戸時代の京で売られていた小型漆器がたくさん含まれているが、それらは消耗品のため日本国内にはほとんど残っておらず、かえって当時の漆工芸を知る貴重な史料になっているということ。明治時代以降の蒔絵輸出の成功が、明治政府の努力というよりもそれまでの対外貿易の積み重ねの上にあるものだということ。こうした学術的な知見をしっかりと押さえることで、「漆」や「蒔絵」という工芸品にまつわるナショナリズム的な紋切型から一歩足を踏み出すことができる。それが、日本が誇る工芸品としての蒔絵の価値を正しく評価することにつながるのだ。

ひとつ要望を述べるとすれば、もっと技術的な視点からの解説と分析が欲しかった。「手板」の展示だけでは(しかも詳しい解説はなし)、蒔絵の技術そのものについてさっぱり理解できない。「研出蒔絵」とは、「高蒔絵」とは、「平蒔絵」とは、「梨地」とは、「鋳掛地」とは、いったいどのような技法であるのかをヴィジュアル的に(できれば映像で)見せるコーナーがあれば、ひとつひとつの品に鑑賞者が注ぐまなざしはもっと違ってくるだろう。展示の後半に数多く並ぶ小さな作品の繊細な装飾に目を奪われるだけに、このことは強く感じた。

12月7日まで。その後、東京のサントリー美術館に巡回。

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ラヂオ頭

Radiohead_2008_01レディオヘッドの日本ツアー初日を観た(10月1日、大阪市中央体育館)。もうすでに全公演(大阪・埼玉・東京、それぞれ2日ずつ)が終了しており、ネットのあちこちでセットリストの比較や(レディオヘッドは公演ごとにセットリストを変えてくることで有名) 、各ステージの様子、そして様々な感想が飛び交っている。もはや情報的に付け加えることなど何もないのだが、ライヴは初体験だったファンのひとりとして、感じたことを備忘録的に書き留めておこう。

スタジアムでのロック・コンサートを体験するのは久しぶり。正直なところ、音響は相当悪い。ブログなどでは「(他のライブに比べて)音が良かった」と書いてあるものも多かったので、席のせいもあるかもしれない(スタンドで舞台を横から見ている感じだった)。まあ、クラシックのコンサートと同レヴェルで語るのは見当違いだろう。クラブのフロアなみにズンズンくる低音と、ガーガーというギターのノイズに塗り込められる感じ。そのアッパーな大音響空間に身を浸すのが正しい楽しみ方だ。

照明と映像プランが実に洗練されていて見事。エコがどうのこうのという話はとりあえず置いておいても、棒状のLEDライトを駆使したライティングは美しい。バリライト全盛の時代を思い出すと隔世の感がある。固定した小型のリモートカメラでメンバーそれぞれをとらえ、5分割のバックスクリーンに映し出すのも面白かった。

初日は「In Rainbows」の曲が中心だった。アルバムの印象としてはちょっと地味な感じもしていたのだが、どの曲も実にライヴ映えする出来栄えであることがわかり、アルバムの魅力を再発見した。全公演のセットリストを見ると、初日は無難な内容でサプライズは少なかったのだが、それでもやはり「Paranoid Android」は楽しかった。熱狂的なファンは初期の曲をやってほしいと思うらしいけれど、個人的には「OK Computer」以降の方が楽曲のクオリティは上がっている気がするので好き。

オープニング・アクトの Modeselektor (トムのお気に入りなのだろう。面白かった)を聴きながら思ったのだけれど、いまのレディオヘッドのちょっと普通でない曲展開は、クラブ・ミュージックの延々と続いていくプレイと少し似ているところもある。ひとつのリズム・パターン、ひとつの循環コードをずっと繰り返しながら、やがていきなり次のセクションに突入するという感じ。

しかしながら、いまのレディオヘッドの音楽はロックコンサートの共同幻想からはかなり遠いところにあるのではないか。オアシスのように皆で肩を組んでシンガロングするような感じではなく、バンドとリスナーがそれぞれ個別に結びついているようなタイプの音楽であるように思う。だからコンサートでも個人個人が強い思い入れを持ってバンドを見つめているような感じで、観客同士の間に連帯感が生まれるような雰囲気はあまりない。このあたりが、やはり優れて現代的なバンドだと思う。

いいライヴだった。でもやっぱり他のセットリストが羨ましい。次回来日時は本気で全公演制覇を狙うかもしれないな。

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