« 2008年4月 | トップページ | 2008年10月 »

ビル・ヴィオラ×ワーグナー

Paristristan_3パリ国立オペラ初来日公演より、「トリスタンとイゾルデ」を観た(7月20日、兵庫県立芸術文化センター)。ピーター・セラーズ演出によるこの2004年のプロダクションの最大の特徴は、ヴィデオ・アーティストのビル・ヴィオラによる映像が全面的にフィーチュアされていることだろう。その詩的かつ神話的な映像世界は、昨年日本で開かれた大規模な個展「はつゆめ」でも大きな話題となった。その折に開かれたヴィオラ本人によるレクチャーでは、この「トリスタンとイゾルデ」の映像を一部紹介しており(第1幕の媚薬を飲む場面で使用されていたもの)、その圧倒的な迫力は今回の来日公演への期待をこの上なく煽るものであった。ここから先は内容を書くので、未見の方はご注意。

演出上の主役は完全にヴィオラの映像にあるようだ。およそ4時間の上演中、舞台上の巨大なスクリーンにはヴィオラの映像がほとんど中断なく投影され続ける。一方、舞台装置は黒い長方形の台が置かれているだけで、シンプル極まりない。歌手の演技はもちろんあるが、普通のオペラ演出よりはかなり抑制されている。いずれもヴィオラの映像とぶつからないように意図されているのだ。第1幕冒頭の水夫の歌や、第2幕のブランゲーネの見張りの歌、第3幕のコーラングレやトランペットを客席に配するなど空間的な処理が目を引くものの、通常の舞台演出の範囲内ではセラーズは「ほとんど何にもしていない」。ヴィオラの映像をもコントロール下に入れて、総合的な演出をしていると考えるべきなのだろう。音楽と映像、音楽と舞台はそれぞれ個別に結びつき、ふたつの視覚的世界が形而上/形而下、あるいは内的世界/外的世界として平行して流れていくように感じた。

ヴィオラの映像は見ごたえ十分だった。トリスタンとイゾルデが運命的な愛にのめりこんでいく第1幕は「水」がテーマ。美しい海の映像から始まるが、「グリーティング/あいさつ」(1995)のような古典絵画の構図を借りた映像や、「サレンダー/沈潜」(2001)のような水面の反射効果を利用した映像が続く。圧巻はやはり前述した媚薬の場面の映像で、水の中に飛び込む男女の姿をスローで捉えたものだ。全体的に、ゆっくりと流れ落ちる、あるいは顔や体から滴り落ちる、そして水中で髪や衣服にねっとりとからみつく水がエロティシズムを感じさせる。オペラの第2幕は、真夜中に逢引した2人が「昼」に対する「夜」の勝利を高らかに歌い上げるという極めてニーチェ的な内容だが、映像もそれに合わせて闇の中で燃え上がる「火」(ツァラトゥストラ!)がテーマ。「はつゆめ」(1981)を思い起こさせる森の映像-夜の森の中でライトを照らしたり、夜の森の中をあてどなく歩いたり-や、無数の燭台に火を灯していく実に美しい映像、そして「クロッシング」(1996)をずばり連想させる爆発的な炎の映像が続く。各映像は多少の糊代をもってライヴでスイッチングされているらしく、指揮のビシュコフがやや粘っこい演奏を繰り広げても問題なく続いていく。

第3幕の映像は、この「水」と「火」の合一がテーマとなっている。トリスタンの長大なモノローグの背景として流れる、赤のフィルターがかかった水中映像はまるで火の中を泳いでいるようだ。そして、水面に映りこんだ炎の映像。水の動きによって炎がゆらぎ、歪み、ぼやけていく。具象的なイメージと思っていたものが、単なる光の集合体に変質していく不思議な感覚。火の粉の動きと水中の泡の動きの奇妙な類似に気付き始める。これぞヴィオラ映像美学の真骨頂、まさに映像の錬金術だ。そして最後に待っているのが、イゾルデの「愛の死」で流れる最後の2つの映像。最初に長々と映し出される、横たわるトリスタンの姿は明らかにマンテーニャの「キリストの死」を思い起こさせるが(構図は違うけど)、やがてその体からゆっくりと泡/水が立ち昇り始める。その勢いは苛烈なものになり、ついには横たわっていた体が持ち上がっていく。「ラフト/漂流」(2004)の激しさを連想させると同時に、タルコフスキー「サクリファイス」の宗教的法悦感とも共通するところがある。ラストは水中をゆっくりと上昇していく男女の姿。この天国的なヴィジョンの美しさは、音楽の力とあいまって、心の中に深く入り込んでくるものがあった。

長大なワーグナーのオペラは、演出によってはしばしば退屈な代物になる。とくに「トリスタンとイゾルデ」は、ドラマがしばしばトリスタンやイゾルデの心の迷宮に入り込んでいき、愛についての対話や独白が繰り返されるので、普通の演出でこれを面白く見せるのは至難の技だ。しかしヴィオラは、愛に囚われてしまったふたりの心象風景というか、ふたりの意識化にうごめく不定形のエロスのようなものを巧みに映像化しているため、内面的なドラマのシーンも見ていて飽きない。極めて現代的で挑戦的なプロダクションであり、かつ成功していると思う。一方、伝統的な舞台演出をやっている人からは評判が悪いだろう。初演時には「これでは舞台を見ないで映像ばかり見てしまう」という声があったそうだ。でも、まさしくそういう意図なのだと思う。もちろん、これが他のオペラでもできるわけではない。ワーグナーでも「トリスタンとイゾルデ」だから許されたような技だ。しかしながら、ビル・ヴィオラとワーグナーが合う!と直感したモルティエ総裁の審美眼はやっぱり凄い。

正直ビシュコフの指揮にはあまり期待していなかったが、いかにもフランスのオケらしい透明で香気のある音色は魅力十分。第2幕ではやや集中力が切れて混乱した部分もあったが、第3幕で死による愛の成就に向けて盛り上げていく力、そしてエンディングの昇華感は素晴らしかった。歌手も平均以上の出来。クリフトン・フォービスのトリスタン、ヴィオレッタ・ウルマーナのイゾルデ(容姿は別として)はもちろんのこと、エカテリーナ・グバノヴァのブランゲーネがブラーヴァ!しかしそれでもやっぱり、これをサロネンの指揮で聴きたかったと思うのは自然なことだろう。なにしろこのプロダクションは、セラーズ=ヴィオラ=サロネンの密接なコラボレーションによって生み出されたものなのだから。しかしともかくも素晴らしい上演であった。現在、東京公演はまだ残席あるそうなので、お時間とお財布に余裕のある方は是非どうぞ。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年10月 »