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メメント・モリ

193

Kremer / Kremerata Baltica
Korpacheva(S) Kuznetsov(B)
Mahler: Symphony No.10 - Adagio
Shostakovich: Symphony No.14 op.135

クレメラータ・バルティカの最新作は「死」をテーマにしたふたつの交響曲。マーラーのアダージョは、ハンス・シュタットルマイヤーとクレメラータ・バルティカによる弦楽合奏版への編曲(今年の来日公演でも演奏していたようだ)。7・6・4・3・2の小さな編成、指揮者なしのアンサンブルによるアダージョは、フル・オーケストラ版に比べてマーラー特有の軍楽隊的なニュアンスが欠如してしまう(皮肉なトーンが見えにくくなってシリアスになる)嫌いはあるが、墨絵のような透明感を表出することで、より抽象的な精神のドラマとしてこの曲を描き出そうという意図が見える。厳しく美しい。

ショスタコーヴィチの14番も、このアンサンブルの冷たく透明な響きによって悲劇性を強く打ち出した演奏。2004年ウィーンでのライヴだが、その技術的な完成度は実に高い。2人のソリストも各曲の性格を表情豊かに描き分けている・・・のだが、どうも何かが物足りない。それは何だろうと考えて、この曲の演奏史を考える上で外せないバルシャイ/モスクワ室内管弦楽団の録音(スタジオ盤)を改めて聴いてみた。わかった。このクレメラータ・バルティカの演奏、クールすぎるのだ。バルシャイ盤の「De profundis」を聴いてみよう。これも実に冷徹な感じだが、ヒリヒリするぐらい音にエネルギーがこもっている。ウラジミロフが歌いだすと、言葉では形容できないロシア独特の臭気が漂ってくるではないか。そして「Malaguena」。狂ったように駆け上がる、しかし一糸乱れぬヴァイオリンのアンサンブル。ミロシニコーワの弾け方は尋常ではない。クレメラータ・バルティカ盤に欠けているのは、このエネルギーだ。それは、あるいはソ連という国の存在がもはや遠くなりつつあることを示しているのかもしれない・・・。改めて強調するが、演奏のレヴェルは高い。ただ、今後どのようにショスタコーヴィチを演奏していくべきか、という問題がここにはある。

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