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セルフ・ドキュメンタリーの陥穽

Belief






「belief」 土居哲真監督、2007年、日本。

ある日、母が統一教会に献金をしていることを知った監督が、母がなぜそのような行為に至ったのかを、母を含む家族や学者や統一教会の信者(顔出しなし)へのインタビューを行いながら考えるセルフ・ドキュメンタリー。撮影は監督自身が民生のDVで行い、編集も自ら手がけている。以下ネタバレ注意。

最近、セルフ・ドキュメンタリーの話題作が多い。現代日本に生きる人間にとって「リアル」な社会関係の範囲が狭まっていることを象徴する現象のように思えるが、セルフ・ドキュメンタリーの手法自体が安易だとか、社会性がないとは私は決して思わない。むしろ、作家が「リアル」に感じた自分自身や家族の問題を徹底的に考え、映像で突き詰めていくことで、私たちがいま生きている世界のあり方が透けて見えてくるように思える。それこそがセルフ・ドキュメンタリーの「可能性の中心」であろう。

この作品はどうだろうか。多少の作品情報をもとにして、観客はこれはカルトを扱った物語だと思って映像を見始めるに違いない。お世辞にも上手いとは言えないカメラ・ワークやぎこちない編集のリズムに戸惑うが、これは不作為の演出と好意的に解釈することもできるだろう・・・。しかし見ていくうちに、この作品のテーマはどうやらカルトではないということに気づく。カルトがテーマであれば、カルトの「内」と「外」の関係が問題となって話が展開していくはずだ。しかしこの物語は母親がすでに統一教会を脱しているところから始まっている。そして母親が統一教会に依存したのは父の死によって家族の統一感が失われたため、さらに自分が心の病になったことで母親に心労を与えたためではないかという内省に話は移り、最終的には兄に新しい子供が生まれることによって家族の新しい秩序が予感されるという結論に至る。つまりこれは母親の事件をきっかけとしてはいるが、監督が自らの家族(生家)についての思いを綴った叙情的なホーム・ムーヴィーなのだ。監督はカルトについて考察した文章をパンフレットなどに記載しているが、この作品の本質にカルトの問題は全く関係していないと私は思う。

問題は、このことを監督がどうやらきちんと自覚していないということなのだ。おそらく、母の統一教会への関与という事件にショックを受けてカメラを回し始めたが、撮っているうちにその背後にある自分と家族のテーマに関心が移っていき、最終的にもそのふたつが混在した形で編集(=作品化)が行われているというのが実際のところだろう。しかし、監督はどちらの問題を語りたいのかをはっきりさせるべきだと私は考える。片やカルトについての考察に時間をかけ(専門家へのインタビュー)、片や家族への思いを叙情的な映像で表現することで、非常に中途半端な印象を見る人に与えるのだ。カルトについての考察は「なぜ母がそうなったのか知りたい」という情緒的な側面に流れ、社会問題として突き詰めることを放棄してしまっている。家族への思いはもちろん伝わってくるが、それを映像作品として第三者に見せる意味はほとんどわからない。「カルトの問題を通じて家族を描いた」という考えなのかもしれないが、ドキュメンタリーで言えるメッセージはひとつしかないというのが私の意見だ。

全編をねっとりとした感触の映像が支配している。監督は明らかに自らの内面世界の暗闇を見つめ、それを映像に表出しているのだ。その意味で非常に正直な作品ではある。家族を撮ること、母親の事件を探求していくこと自体が、監督にとって自らの心の問題を解決していくための行為だったことは容易に想像できる。しかし、その撮る行為によって生まれた映像がそのまま「セルフ・ドキュメンタリー」の作品になるかというと、それはやはりちょっと違うと思わざるを得ない。これらの映像はあまりに作者に近すぎて、作品として自立した強度を保っていないと私は考える。

要は、監督にとっての現実のインパクトを客観的に消化できていないまま見せてしまっていることがすべての問題だと思う。ここで語られていることはまだ「私」の範囲内に留まっており、作品としての突き詰めが全く足りないと感じる。もちろん、中にはこの大混乱状態を面白いとか、リアルだと思う向きもあるだろう・・・評価は自由だ。しかしドキュメンタリー作品としては失敗していると私は思う。なお、出演者の肩書きを作中でスーパーしないのは、意図的だとすれば面白い。どのような立場から語っているのか、肩書きで予見させないという効果がある。

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