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「ラプソディー・イン・ブルー」についてのノート(2)

「ラプソディー・イン・ブルー」の実際の演奏について、初演者であるガーシュインとポール・ホワイトマン楽団の録音、この曲の名演奏としてよく言及されるバーンスタイン、プレヴィン、ティルソン・トーマスのそれぞれ複数の録音、そしてこの曲の「オリジナル」を追求したモーリス・ペレスの録音を例に考えてみたいと思う。前回の記事で示した「オリジナル版(ジャズ・バンド版)」と「フル・オーケストラ版」の違い、慣習的なカット、そして各人の解釈が考察の対象となる。

最初に指摘しておきたいのが、「オリジナル版」とされる演奏が譜面上必ずしも同じものではないということ。前回述べたように、「オリジナル版」の演奏はグローフェの不完全な手稿譜をベースに様々な資料を解釈することで生み出されるものであり、その内容は演奏者によって少しずつ違っている。「2台のピアノのための版」が成立したときに生じた4つのカット(前記事参照)を復元するかどうかということもあるし、その他にもグローフェの手稿譜に含まれていていつのまにかなくなってしまった部分が存在する。「オリジナル版」をうたった演奏を聴くときには、そのあたりも留意しておく必要がある。

Gershwin




Gershwin(p) Paul Whiteman and his concert orchestra
(1924/10/24 Camden, NJ)

初演の8ヵ月後に行われたこの曲の初録音であり、当然「オリジナル版」に基づいていると考えられるが、当時のSPの録音時間の限界によるカットがある。①練習番号14冒頭から練習番号18の3小節前まで(18の2小節前からピアノ・ソロで戻る)、②練習番号19の16小節目から練習番号27の2小節目まで、③練習番号33の5小節目から28小節目まで(33小節からの4小節もリピートなし)、④練習番号39冒頭から練習番号40の4小節前まで(40の3小節前からピアノ・ソロで戻る)。かなり大胆なカットであり、音質も決して良くはないが、それでもやはりこの演奏から得るものは大きい。全体的に速いテンポで進められる演奏の中に、1920年代の白人ダンス・バンドのエッセンスが詰まっている。クラリネット、トランペット、サックスが実に濃厚で粘ったフレージングと音色を聴かせるし、録音が貧しい割にバンジョーがよく聴こえるのもうれしい(リゾネイター付きの4弦テナー・バンジョーだろうか)。そして特筆すべきは有名な中間部で、この楽団ならではの細かいヴィブラートをかけたサックス(前半はアルト+テナー+バリトン、後半はソプラニーノ+ソプラノ2本)が主導する展開は夢のようにノスタルジックな感覚を聴く人に与える。まさに「グレート・ギャツビー」の世界、シャンパンの泡のように華やかで儚いパーティーの夜だ。またガーシュインのピアニストとしての並外れた力量をよく伝える録音でもあり、クラシックのピアノとは全く違うオフ・ビートのリズム感と超絶的なテクニックに圧倒される(最後のカデンツァにおけるキューバ風のフレーズのノリには、ミッシェル・カミロもびっくり)。これを聴くと、「ラプソディ・イン・ブルー」という曲がポール・ホワイトマン楽団のダンス・バンドとしての実力を示すように作られている(チャールストンぽいアップ・テンポの前半と、チーク・タイムのようなスローの中間部)ということがよくわかる。

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Gershwin(p) Paul Whiteman and his concert orchestra
(1927/04/21 Camden, NJ)

初演の3年後の再録音。カット箇所は前回と同じ、ただし練習番号33の33小節目からの4小節のリピートは今回は生かされている。基本的に「オリジナル版」だが、よく聴くと全体にオーケストレーションが厚くなり、また随所で楽器の変更がなされていることがわかる。アルト・サックス・ソロだったところにテナー・サックスが重ねられたり、中間部のヴァイオリン2台のソリがコンマスのソロになったり。これはホワイトマン楽団の編成が変化したことによる再アレンジであり、ポピュラー音楽の世界では当たり前のことだ。きちんとしたスコアの形で残されていなくても、現場の状況に応じてこのようなアレンジの変更がどんどん行われていたということを示す証拠でもある。演奏の基本的な方向性は前回と同じだが、オーケストレーションが厚くなったためにややもっさりとした印象を与える。ガーシュインのソロには、おそらく何十回となく(いや何百回か)この曲を弾いてきたことによる、ある種の弾き崩しが見られる。もちろん前回同様素晴らしいのだけれども、そのやや斜に構えたようなスタイルは、ちょっと嫌らしさを感じないでもない。

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Bernstein(p) / Columbia Symphony Orchestra
(1959/06/23 NYC)

バーンスタインの有名な初録音で、当然「フル・オーケストラ版」。カットは①練習番号14から練習番号18の5小節目まで、②練習番号21の12小節目から練習番号24の4小節目まで。冒頭から引きずるようなスロー・テンポに驚かされる。ピアノ・ソロも思い入れたっぷりだ。練習番号9でアップ・テンポになってからはさすがに引きずらなくなるが、中間部でまたたっぷりと「泣き」を見せる、という感じ。結局、これは彼のマーラー演奏と全く同じなのだ。すなわち、超ロマンチック。ピアノ・ソロの途中、練習番号21の9小節目でいきなり低音のトリルを響かせる。中間部のヴァイオリン・ソロの後、そのソロに続くようにヴァイオリン・セクション全体の音域を1オクターヴあげてメロディーを弾かせて盛り上げる。練習番号39のエンディングに突入するときに、ピアノ・ソロもグリッサンドでなだれ込む・・・楽譜にはない改変箇所も、この超ロマンチック精神に基づく演出に他ならない。分厚いシンフォニックな響きともども、これはもう1920年代のローリングする世界とは似ても似つかない代物だと思うものの、個性的で面白い演奏であることは認めよう。それにしても、ピアノ・ソロがハネ気味だな~と思っていたら、エンディングで盛大にシャッフル。このブギウギっぽい解釈は、どうにも野暮ったく聴こえる。

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Previn(p) Kostelanetz and his orchestra
(1960/03/25 Hollywood)

まだプレヴィンがジャズ・ピアニストであった頃の最初の録音。指揮はガーシュインとも親交があったコステラネッツ。「フル・オーケストラ版」で、カットは①練習番号14冒頭から練習番号18の3小節前まで(ピアノ・ソロのみに戻る。これはガーシュインの録音と同じ)、②練習番号21の9小節目から練習番号24の4小節目まで(このつなぎに上昇スケールと次の小節のフレーズを入れて滑らかにつないでいる)。とにかくプレヴィンが巧い。明確なアーティキュレーションと、少々のミスタッチはものともしない勢いのあるグルーヴ感。速いフレーズでの尋常でない指のまわり方にはぞくぞくさせられるし、最後のソロにおけるキューバ風フレーズの速射砲のような迫力も圧倒的だ(嬰ハ音の連打に微妙なアクセントをつけてドライヴ感を生み出している)。プレヴィンはこの曲を3回録音しているが、ピアニストとしてはこれがベストだろう。コステラネッツのオケは、いかにも西海岸的な明るい音色。管のフレーズに弦を重ねたり(練習番号10の3小節目からのクラリネットにヴァイオリンを重ねている)、逆に管のユニゾンでは楽器を抜いたりといろいろ手を加えているようだが、全体的にオケがあまりシンフォニックに厚くなりすぎないための工夫とみた。オープニングも、5小節目になって初めてコントラバスとティンパニがボン!ときたりするのが面白い。そして、トランペットが巧い。冒頭のクラリネットに続いて出てくるソロには耳が引き付けられる。また、中間部は弦を前面に出してハリウッドの映画音楽風の甘さにしているのが面白い。エンディングの練習番号40の3小節前、オケをカットしてピアノ・ソロにしているのは、ガーシュインの録音と同じ流儀だろうか。フル・オーケストラ版をベースにしながらも、ジャズを意識した快演。雰囲気はウエスト・コーストだけど。

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Previn(p) / London Symphony Orchestra
(1971/06/04,06 London)

プレヴィン最初の弾き振り録音。「フル・オーケストラ版」で、カットはコステラネッツのときと同じ。ただし、練習番号21から練習番号24に飛ぶところは、今回は上昇スケールなどのつなぎはなし。プレヴィンは相変わらず巧く、テクニック的には今回の方が完璧になっていると思うが、前回のようなジャズっぽいドライヴ感はなし。その代わり、セクションごとの性格をはっきりさせた音色の変化は素晴らしい。録音のタッチも含め、この曲を完全にクラシックのコンサート・ピースとして演奏した正統派の演奏だと思う。オケの響きもシンフォニックながら、洗練された美しいもの。中間部でサックスの音色を目立たせているのはなかなかの見識。練習番号40の3小節前からピアノ・ソロになるのもコステラネッツのときと同じで、コステラネッツ流のアレンジをプレヴィンが借用したということだろうか。「フル・オーケストラ版」としての完成度が非常に高い演奏。

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Gershwin(p roll) Tilson Thomas / Columbia Jazz Band
(1976/06/23 NYC)

リリース時に非常に話題となったガーシュインのピアノ・ロールとティルソン・トーマスの共演で、「オリジナル版」。ただし、前記事でも触れた初演後の「4つのカット」のうち復元されているのは最初のもの(練習番号4の3~6小節目のオケ伴奏)のみ。ここで使われているピアノ・ロールはガーシュインが1927年に録音した「ソロ・ピアノのための版」で、そこからオーケストラ部分の音を抜いているらしい。さて、どうなのだろうか?ガーシュインの演奏は、ホワイトマン楽団との録音でも聴けるように、いかにも1920年代ダンス・バンド的なもの。1924年の録音よりさらに後のもので、かなりの弾き崩しが見られる。さらに言えば、もともとがピアノ・ソロ版のため「共演」など考えてもいない超絶的なテンポの部分があり、オケは四苦八苦だ(それでもなんとかついていっているところが凄いと思うが)。結果として、オケは非常によくやってはいるものの、アンサンブルとしてかなり不自然なところが生じてしまっているのは明白で、その意味ではこの試みはあまりうまくいっていないと思う。しかし、である。私はこの録音を聴いた時に、なぜかナンカロウのピアノ・ロールのための音楽を思い出し、これはある種の「実験音楽」的な試みとして聴いたら結構面白いな~と思ってしまった。ティルソン・トーマスという人は、西海岸のアメリカ実験音楽のムーヴメントを同時代的に体験している作曲家でもあるので、こういうちょっと面白いアイディアをやってみたかったのではないだろうか。ガーシュインが弾いているからといって決して「オリジナリティ」や「オーセンティシティ」を標榜しているわけではなく、奇抜なアイディアを実現した演奏と考えた方がしっくりくるし、この演奏の目指すところがよくわかるように思う。

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Bernstein(p) / Los Angeles Philharmonic Orchestra
(1982/07 San Francisco) live

バーンスタイン2回目の録音。「フル・オーケストラ版」で、カットは以前と同じ。しかし、冒頭からの引きずるようなニュアンスは前回よりかなり薄まっている。練習番号21の9小節目での低音のトリルもなし、中間部のヴァイオリン・ソロの後も譜面通り。あのバーンスタイン流の超ロマンチックな味付けが全体的にかなり薄味になってしまったような印象だ。もちろんこれはこれでバーンスタインなのだが、前回のほうがより「らしい」。と思っていたら練習番号39直前のピアノのグリッサンドによるなだれ込みは健在、そのあとのご機嫌なシャッフル具合もそのままだった。ここはどうしてもやりたかったのだろうか。録音は前回聴こえなかったバンジョーがよくわかるのがうれしい。また、練習番号10の3小節目でクラリネットにヴァイオリンを重ねているのはコステラネッツと同じだが、西海岸のオケで譜面の共用があるのだろうか。ところで、バーンスタインがピアノ・ソロで楽譜にない装飾音を多用するのは、やっぱりとても趣味が悪く聴こえる。

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Tilson Thomas(p) / Los Angeles Philharmonic
(1982? Los Angeles)

さすがに前回は遊びすぎと思ったのか、ティルソン・トーマス2回目、今度は弾き振り。しかも(挑戦的にも)バーンスタインと同じロス・フィルである。「オリジナル版」で、オケの譜面は前回の録音と基本的に同じもののようだが、細かいフレージングにはいくつかの違いがある(エンディングの木管トリルなど。こちらの方がグローフェの譜面通り)。この録音のために相当資料を調査して、今回はオーセンティシティを目指したのだろう。ティルソン・トーマスのピアノはかなりの腕前。ジャズっぽいというのとはちょっと違うが、タッチがキラキラしていてひとつひとつの音が明晰。迫力やスピード感にも欠けておらず、最後のカデンツァのキューバ風フレーズも驚くようなスピードで弾きまくる。テンポの揺らし方やルバートも即興的で生き生きとしており、素晴らしい演奏だ。オケもよくまとまっているが、「オリジナル版」の割にやや響きがシンフォニックに聴こえてしまうところがあるのはロス・フィルだからだろうか。ヴァイオリン・セクションがちょっと厚いような気もする。クラリネットやトランペットのソロのフレージングは粘っこくて良いのだが。

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Previn(p) / Pittsburgh Symphony Orchestra
(1984/05 Pittsburgh)

プレヴィン3回目の録音。「フル・オーケストラ版」、カット箇所は前回と同じだが、練習番号21と練習番号24へのつなぎ方は毎回違って、今回は上昇スケールのみあり。プレヴィンはやはり達者だが、さすがに以前のような「キレ」はない。オケの響きもかなり厚くてぼってりとしており、ロンドン響のようなキビキビした洗練には遠い。完全に大コンサート・ホールでのクラシック・レパートリーとしての演奏で、ここまでくるとさすがに「オリジナル版」との大きな隔たりを感じざるを得ない。大マエストロが十八番をやっているような大袈裟な身振りも気になる。いつものプレヴィン同様、練習番号40の3小節前からピアノ・ソロになるが、今回はさらに練習番号10の3小節目でクラリネットにヴァイオリンを重ねるコステラネッツ流が復活している。

Peress




Davis(p) Peress and various players
(1985?)

モーリス・ペレスは、1976年から「ラプソディ・イン・ブルー」のオリジナルの姿を追い求めてきたという。その結論がこの録音で、アルバム自体が1924年2月11日のホワイトマン楽団の演奏会を再現したものになっている。ペレスはこの録音にあたって主に5つの資料を活用したと述べており、それは①ホワイトマン・アーカイヴにあるオリジナルのパート譜、②ガーシュインが最初に書いた2つのピアノのための手稿譜、③個人によるその写し、④グローフェの手稿譜のコピー、⑤1924年6月10日のガーシュインとホワイトマン楽団による録音、である。その詳細な調査の結果、この録音は「オリジナル版」ではあるが、他の「オリジナル版」とは譜面上の違いがいくつか生まれている。ひとつは初演後の「4つのカット」のうち2つまでを復元していることで、練習番号4の3~6小節目のオケ伴奏だけではなく、練習番号21の8小節目と9小節目の間にある10小節分のピアノ・ソロも演奏されている(あとの2箇所をなぜ復元しなかったのかはペレスにきいてみなければわからない。他の資料から、初演時にはすでになかったと判断したのだろうか)。また、グローフェの手稿譜には記されている練習番号15の8小節目と9小節目の間の4小節のオケのパッセージもここで初めて復活している。このように徹底した調査に基づいた演奏なのだが、その内容もまた素晴らしい。ガーシュインとホワイトマン楽団の1924年録音の精神を生かしており、いかにも1920年代の白人ダンス・バンドっぽい軽快なノリの演奏が繰り広げられている。中間部もあのヴィブラートのかかったサックスが強調されておりさすが(テンポはかなり速い)。クラリネットやトランペットのソロのフレーズも、ホワイトマン楽団を研究した結果であろう粘っこいいやらしさがあって素晴らしい。ピアニストのデイヴィスもガーシュイン本人に負けないソロを繰り広げており、アップ・テンポでのノリ、スローな部分での叙情性、ともに聴かせる。このオーセンティシティへのこだわりは一聴に値する。ところで、このコンサートの最後の曲はエルガーの「威風堂々」(もちろん「ジャズ・バンド版」!)だったらしい。

Thomas3




Tilson Thomas(p) / New World Symphony
(1997/01/26,27 Fort Laudale, FL)
ティルソン・トーマス3度目の録音。「オリジナル版」で、オケの譜面は前回と同じ。解釈としては前回とほとんど変わらないのだが、録音のせいもあるのか、今回のほうがひとつひとつの楽器がよく聴こえる(バンジョーもさらに鮮明)。オケの響きとしても今回のほうが厚くなりすぎずよくまとまっていると思う。クラリネットやトランペットのソロもニュアンスがしっかりとしていて見事。ティルソン・トーマスのピアノも前回と同じテイストで技術的にも達者だが、フレーズの細部のニュアンスはちょっと変えてきて楽しませる。ティルソン・トーマスの場合、録音を重ねるに従って曲の完成度が上がっているのは確かだ。

同じ「ラプソディ・イン・ブルー」とはいっても、楽譜から解釈に至るまで演奏によってかなりの差があるのが実情。とくにこういう版に複雑な経緯がある曲の場合、どんな楽譜を使っているのかということを考えておかないと、楽譜の違いを解釈の違いと取り違えることがあるので要注意である。次はナマで聴いてみたいものだ。

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