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Björk 「Volta」

Volta
mixi のこの作品のレヴューの中に、「マドンナを聴くとアンダーグラウンドでどんな音楽が流行っており、それをメインストリーム受けさせるにはどうしたらよいかがわかる。ビョークを聴くといまどんなミュージシャンやエンジニアがヒップで、どういう音をやればマニアや自称音楽通から注目されるかがわかる」という趣旨のことを書かれている方がいて、言い得て妙だなと思ってしまいました。鋭い指摘です。ただ、私はそういう作り手側の計算は全く非難されるようなことだとは思いません。むしろ、ポップ・ミュージックというのはそういう風に高度な計算の上に作られる商品だと思っているし、またそういう冷静な計算に「芸術性」や「初期衝動」というフィクション(物語)をまとわせるテクニックをこそ評価したいと思います。さらに言えば、実は音楽というものはそのような作り手の計算ですらするりと抜け出てしまうものだとも考えています。音楽の力を信じるとは、つまりそういうことではないでしょうか。

すでに多くの人が指摘しているように、内省的だった「Vespertine」(01)「Medulla」(04)から一転してアッパーな作品。生々しいビートが支配する攻撃的なサウンドは、ビョークが求めていたものが直接的な肉体性であることを端的に示しています。コラ、リケンベ、ピパといった非西洋楽器のサウンドもその方向性に沿うもの。そしてこういった「陽」の部分を際立たせるための「陰」の部分の作り方に、逆に知恵をしぼっているかなという気がしました。サウンドで言えばアイスランドのホーンセクション、クラヴィコード、そして何と言ってもアントニー・ヘガティの使い方でしょうか。実によく考えられています。歌詞もこの二分法に見事に対応していて、社会的・政治的なステートメントの一方で親密な囁きがあり、作品としてのバランスをとっています。

容易に想像できるのは、世界の政治経済システムの歪みが現在最も顕著に現れている中東・アフリカ・アジアという非西洋的文化圏にある種のパワーの凝縮を感じていて、そのヴァイタリティを自らの作品に取り込もうとしているということでしょう。ヒンドゥー的なジャケットのアートワークもまた然り。その意味で、彼女がやっていることは別に新しいことではないのです。ただ、その表現は最新型であり、それがポップ・ミュージックとしては重要なところだといえます。

最後にこの超不評なシール付きデジパックの仕様について。さすがにシールの接着力は比較的強く作ってあるので、接着面を汚さないように気をつけながら、シールの半分だけはがして開けたり閉めたりしていればいいのでは。私はそうしてます。

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