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善き人のためのソナタ

971d45dab85d8b9963395e9023164c92私はソ連時代末期のモスクワで3年ほど過ごしたことがある。その頃も外国人のアパートには盗聴器が仕掛けられているというのがもっぱらの噂だった(おそらくそれは真実だっただろう。もっとも同時に、そんな盗聴を真面目に行うような労働意欲を持つ人間が当時のソ連にはいないことは誰もがわかっていた)。また電話の通話中には実際に盗聴されているのではないか?と思わせる変なノイズや混信が多かったし(もちろん家庭からダイレクトに国際電話をかけることもできなかった)、外国からの郵便物の多くに開封・検閲のあとがみられた。だから、この映画の舞台となっている1984年の東ベルリン(まさに同じ時に私はモスクワにいた)の状況をとてもリアルに感じることができる・・・当時の「東」の街に共通しているあの殺風景な都市空間の佇まいと、そこに流れる静かで乾いた空気も。しかし、市民間の相互監視に関する限り、東ドイツの状況はソ連の比ではなかった。私はそれを、壁の崩壊後に次第に明らかになっていったシュタージの活動の実態を伝えるいくつかの報道で知った。冷戦の最前線の戦場であるが故に、雪解け後も東欧諸国の中で最も厳しい国家保安体制が敷かれていたのが東ドイツだ。隣人同士が、友人同士が、夫婦が、親と子が監視しあい、密告を行うような社会。この記憶は、当時を生きた人々の心の中に鋭い痛みとして今も残っているはず。それをいま映画にできるというのが、まずすごいことだ。

原題は「Das Leben der Anderen」。他者たちの生活、ということだ。「善き人のためのソナタ」という邦題には当然賛否両論があることとは思うが(「ソナタ」は重要ではあるが、物語の中心ではない)、日本での一般的なアピールを考えた上での担当者の結論と考えれば、私は全く了解できる。それに、日本語のタイトルは決して作品の中身には影響しない。先にも書いたが、当時の東ベルリンの都市空間の表現が実にリアルだ。やや青みがかった映像が、画一的で殺風景な町並み、没個性的で垢抜けないインテリアといった当時の「東側」の空気を如実に伝える(流行の「オスタルギー」でこれらのデザインがファッショナブルなものとしてとりあげられるのを見るたびに、私はとても不思議な気持ちがする)。主人公ヴィースラーがあまりに職人的であり、社会主義国家体制の保安に対する自らの信念が固いものであるが故に、腐敗した官僚組織が牛耳る国の実態に対して距離感を抱くようになるという設定が面白い。寡黙で無表情な彼の内面を、その大きな瞳を見つめることで推し量ろうとするのは難しい・・・しかし彼の内面は確実に変化していくのだ。その変化の証は、瞳から流れ出る一筋の涙によって端的に示される。彼がドレイマンとクリスタに対してシンパシーを感じるようになる過程の描写に説得力が欠けているだろうか?あるいはそうかもしれない。これまでまるで芸術というものに全く興味を持たなかったヴィースラーが、ブレヒトの詩を読み、「善き人のためのソナタ」を聴くことで初めて人間性に目覚める。これは完全にフィクションであり、奇跡だ。しかし、その直接的な鍵を音楽という体験に与えたところに熟考の跡を感じる。私の経験から言っても、「東」では「芸術」というものに西欧では考えられないような重みが与えられていた。だから、こういうこともありえる、と思えてしまうのだ。そして、尋問にかけられてドレイマンを裏切ってしまうクリスタを人々は責められるのだろうか?あの社会の中では、まともな人間はドラッグのようなものに頼らないと生きていけないだろう(当時のソ連ではアルコールに頼って人生を送っている人が圧倒的に多かった)。このクライマックスのエピソードは、あの社会の中で人間として生きるということがいかに難しかったかを物語っている。しかし映画は、そんな状況の中でも人間性を失わなかった人々がいたことを静かに、しかし強く希望をもって訴えかけるのだ。

素晴らしい映画だと思う。これが33歳の人の初監督作品というのだから驚いてしまう。先にも書いたように、シュタージのもとでの相互監視という歴史的な事実は、今も人々の記憶に生々しく残る棘だ(実際に、「東」出身であるヴィースラー役のウルリッヒ・ミューエは、十数年間も妻に密告され続けていたことを数年前に知ったという)。普通なら目を背けてしまいたくなることを、フィクションの形をとりながらも克明に描き出す、しかも希望をもって。こんなことは、なかなかできるものではない。振り返って、自分はどうだろうか?見る人ひとりひとりが問われているのではないか。ましてや、この映画に対して、「特殊な状況下の話で、実感するのは難しい」というような感想では済まないのは明白ではないだろうか?

音楽も素晴らしいと思っていたら、エンド・クレジットでガブリエル・ヤレド(&ステファン・ムッシャ)であることを知って納得。私にとってのヤレドといえばやっぱり「勝手に逃げろ/人生」、「愛人~ラ・マン」、「ベティ・ブルー/愛と激情の日々」。そして今回もやっぱり映像を見ないで書いたらしい。弦楽合奏を主体とした静かな哀しみを湛える旋律が素晴らしい。そして鍵となる「善き人のためのソナタ」(映画ではペータースの楽譜で出てくるけれど、さすがに作曲者名は書いていない)は、短いけれどこれ以上はないという出来栄え(これ、ヤレドの「クラシック作品」と考えても良いのだろうか)。物語上こんな重要な位置付けを与えられている音楽を作曲するというのは本当に困難なことだと思うのだが、それを完璧に成し遂げていることに驚愕する。ところで、映画を見てすぐにサントラも買ってしまったのだが、「日本特別編集版」はボーナス・トラックとしてヤレドと監督の選曲によるクラシックの「ソナタ」-スカルラッティのニ短調L.413、ベートーヴェンの「熱情」第2楽章、モーツァルトのイ長調K.331の第2楽章と第3楽章-が最後に入っている。演奏者の記載は全くなし。買ってからそれに気づいたときは一瞬余計なものを・・・と思ったのだが、聴いてみると意外と悪くない。それまでの音楽の流れを壊さない選曲だし、演奏も抑制されていながらほどよくロマンティック。しかも最後のトルコマーチはオケ編曲版という衝撃のエンディングで、これはもしかしたらかなり面白い「特別編集版」かもしれない。

フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督、ドイツ、2006年。

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コメント

はじめまして。
《善き人…》の感想を検索していて辿り着きました。興味深く読ませて頂きました。

>「特殊な状況下の話で、実感するのは難しい」というような感想では済まないのは明白ではないだろうか?

同感です。対岸の火事と見過ごすわけには行かないと思います。

私も拙い言葉で書いた感想をTB&記事内でリンクさせて頂きました。不都合があれば、仰って下さい。

投稿: ヴァランシエンヌ | 2007年3月19日 (月) 10時51分

ヴァランシエンヌさん、はじめまして。
コメント&TBありがとうございました。拙文お読み頂いて恐縮です。

私も、自分が近年に見た映画の中では1、2に入るのではないかと思っております。

また、そちらのブログにもお伺いします。今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 無弦庵 | 2007年3月19日 (月) 23時35分

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フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督(ドイツ・2006年) ☆日本版公式サイト☆今年度のアカデミー賞外国語映画賞受賞作品。(TAROさんちのアカデミー賞記事へリンク) 重いです。本当に重い内容。原題はDas leben der Anderen(「他人の生活」)です。邦題&日本語のキャッチコピーからは、旧東独のシュタージが徐々に人間的な暖かさに目覚めるハートフルヒューマンドラマのような印象を受けますが、そんな生易しい内容ではありません。 人間の弱さ、狡さ、そして良心…エンターテイメントとし... [続きを読む]

受信: 2007年3月19日 (月) 10時46分

» 『ブラックブック』&『善き人のためのソナタ』のセバスチャン・コッホ! [映画『ブラックブック』公式ブログ〜バーホーベンはお好き?〜]
『ブラックブック』を宣伝している間に勝手に人気が急上昇したのは アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『善き人のためのソナタ』にも出ている セバスチャン・コッホでしょう。 ヒロインのエリスが憎むべき敵でありながら愛してしまうナチ将校ムンツェ役の セバスチャン。 もちろん、設定的にも、いい男でなければいけない。 バーホーベン監督のアシスタントのMさんによると 何人か..... [続きを読む]

受信: 2007年3月23日 (金) 07時32分

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