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藤田嗣治「腕一本/巴里の横顔」

腕(ブラ)一本・巴里の横顔―藤田嗣治エッセイ選

あの回顧展から、もう1年が過ぎようとしているのですね。早いものです。「巴里の横顔」「腕(ブラ)一本」「地を泳ぐ」という入手困難な随筆集からの抜粋が、文庫にまとめられているのを知りました。現在いろいろなところで目にする藤田の言葉は、ほとんどがこれらの随筆集からの引用です。改めて読み直すと、編者の近藤さんも書いておられますが、明治生まれの気骨ある日本人という印象を強く持ちます。そして、どのように自己を演出するかということに相当気を配っていることも(加えて、日本では誤解されやすかったであろうことも)。彼のエッセーからは、日本人が世界で活躍するとはどういうことなのかということをいまだに考えされられます。また、線の重要性、デッサンの必要性などを語った画論も、藤田の絵を知る者にはとても興味深い内容です。

しかしやはり最も注目されるのは、ここで初めて公開された晩年のノートでしょう。自伝の草稿とともに残された、最晩年の寂寥感あふれる独白の数々を読むとき、彼が随筆の中では決して見せなかった素の表情をふと垣間見てしまったような気分になります。

 日本に生まれて祖国に愛されず、
 又フランスに帰化してもフランス人としても待遇も受けず、
 共産党のように擁護もなく、
 迷路の中に一生を終る薄命画家だった。
 お寺を作るのは私の命の生根の試しをやって見るつもりだ。
 (1966年4月18日)

晩年、パリ郊外の村で隠遁生活を送っていた藤田は、家で浪花節のレコードを繰り返し聴いていたといいます。彼にとっての日本とはいったい何だったのか。藤田の作品や言葉と向き合うとき、私はいつも頭の中でこの問いを考え続けるのです。

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